【一人称】僕
僕は自分のことを「僕」と呼んでいる。
数年前までは、基本「俺」と呼んでいて、目上の人や初対面の人なんかの前では「僕」と呼んでいた。
数年前に自分の一人称を全て「俺」から「僕」に意図的に変更した。
何か大きい理由やきっかけがあったわけじゃないが、「俺」の持つ何か青臭い、それでいて瑞々しい響きがもう40を超えた中年にはそぐわない気がしたからだ。
それ以降「僕」という一人称は気に入って使っている。
中年が発する「僕」と言う言葉には、「歳をとったからこそ謙虚でいよう」という思いが凝縮されている気がするからだ。
このまま死ぬまで「僕」でいれるのか、70才とかを超えたら「ワシ」とかになるのか、はまだわからない。
でもできるだけ「僕」でありたいと思う。
関西人だからといって間違っても「ワイ」にはならない。
【ペイっ!】中途半端なキャッシュレス化についてぼやかせろ!
paypay、メルペイ、LINEペイ…ここ昨今のキャッシュレス化推進によってこれまでのクレジットカードに加え、様々な決済方法が登場してきた。筆者もキャッシュレス大賛成派なので、主にはクレカ・paypay・icocaの三つ巴で支払いを済ませている。
キャッシュレスの大きな魅力は①現金を持ち歩かなくても良い②小銭がたまらない③レジで財布をもぞもぞしなくても良い④財布の中の残高を気にしなくても良い、などがあるだろう。財布も小さいものですむし、デメリットなんかありゃしまへん。できることなら現金は持ち歩きたくないところなんだが、そうもいかないこともある。
まずはジュースなんかの自動販売機。キャッシュレスに対応しているのもあるが、まだ現金のみのものがほとんどだ。筆者が利用している駅の駐輪場なんかも現金のみ、さらに全国規模のチェーン店でも現金しか使えない場合もある。
細かい話だが、キャッシュレス非対応のサービスや店舗が少しでもある限り一応現金は持っておかないと少し不安なのである。できることなら現金は1円も持って歩きたくはない。なんなら友達との割り勘もキャッシュレスで済ませたい。そんな考えをもってるのは筆者だけではないはず。
そこでお店側のキャッシュレスのメリット・デメリットを考えてみた。
メリットは「ウチは色んな支払い方法を選べますよ〜」とお客にPRできたり、あとはpaypayやLINE Payなどが行なっているキャンペーンに便乗できることぐらいだろうか。あまりお店にとってお得なことはない様な気がする。
続いてデメリットはなんと言っても支払い手数料。ググってみたところ、だいたい3.24〜3.95%の手数料が掛かるそう。ということはお店にとってはキャッシュレス決済をされると利益が減少するということだ。しかももちろん現金払いのお客もいるので釣り銭はこれまで通り用意しておかないといけない。
もし店側がキャッシュレスのみ対応で現金は全くの非対応をするならば、釣り銭も売上も店舗に現金が全く無い状態になるので、現金管理の煩わしさがなくなるのは大きなメリットになろだろう。
そんなこんなでお店にとっても消費者にとっても完全キャッシュレス化が普及しないと真のメリットは感じることができないのである。
ここ数年でかなり普及した感はあるものの、あともう一歩が足りないキャッシュレス。もどかしい思いで小銭を持ち歩かないといけないのは仕方がないことなのか。
【ECOっちゃ】レジ袋有料化から一か月経過。その効果は?
2020年8月1日現在の話である。
yahooニュースによると7月1日から開始されたレジ袋有料化から1ヶ月経過し、有料化前に30%前後だった辞退率はコンビニ各社でだいたい70%超になっているとのこと。開始当初、業界が掲げた「2030年までに6割」という目標を早くも上回ったという。
私は、スーパーはマイバッグ持参で、コンビニはレジ袋を買う派である。
スーパーは家から買い物目的で行くことが多いし、比較的大きな袋が要となるのでマイバッグを持参し、コンビニは外出時や帰宅途中などで「寄る」ことが多いからマイバッグを持参していないというのが理由だ。
つまるところ人によってのライフスタイルで変わってくるところが多いのではと思うのだが、冒頭のニュースのような結果が1ヶ月で出たことは素晴らしいことだと思う。
正直3円とか5 円程度の話なのでマイバッグを持ち歩く面倒臭さからすれば買うほうが手っ取り早い感じはするのだが、スーパーもコンビニも別に経費削減のために行っていることではなくあくまでも環境改善のために行っている話である。
そこは消費者も真意を汲んでいて支払う金額でなはく環境のために辞退しているのであろう。
しかし思えば世の中にはいつからこんないプラスチックがはびこっていたのであろう?
昭和50年生まれの筆者が子供の頃はコンビニはなく、スーパーもそんなに多くはなかった。
例えば豆腐は近所まで豆腐屋さんがバイクで来てくれて、それを家のボウルを持って買いに行ったり、他の食料品も市場へ行き、野菜は新聞紙で包んでくれたり、肉は耐水性の包装紙で包んでくれたりしていた。それらを持参した買い物袋に入れて母親が持ち帰っていたものだ。
またドリンクのペットボトルなどはなく自動販売機でも瓶かアルミ缶に入ったものが売られていた。瓶はそのままの形でリサイクルされており、瓶のまわりが少し擦れたようなものもあった記憶がある。
プラスチックゴミ問題についてググってみたところ、「プラスチックゴミ問題は60年前からあった」との記事が出てきたので、相当前からあった問題のようだが、特に大きく問題視され、スタバの紙ストロー採用のように対消費者向けの具体的な施作がされてきたのは最近のように思う。
そんな中でもコンビニ、スーパー、そして百均などに行くとまだまだプラスチック製品やその梱包が非常に多いのは否めないし、地球規模での改善までは遠い道のりであることは間違いない。
しかし「千里の道も一歩から」だ。
そう思いながら、コンビニ用の小さなマイバッグも持参しようと心に決めた筆者であった。
【コロナ考】新型コロナ禍を風の谷のナウシカに例えたら
「ん?何それ?」とか「タイトルは知ってるけど見たことない」という人はDVDでも借りて一度見てほしい。
私は「風の谷のナウシカ」は地球という生物を汚した「人間という悪性ウィルス」を腐海や王蟲をはじめとするデカイ虫達が白血球=自然治癒力となり駆逐していき、地球を元の健康な状態へと戻していく過程の物語だと捉えている。
映画版の最後、風の谷に向かって暴走する王蟲を慈悲の心で沈めたナウシカ。その後、あの世界では王蟲や腐海と共存するための新しい生活様式をとっていく必要があるだろう。
それをコロナ禍の現代に例えると、環境汚染や自然破壊などによって地球を汚した人間をコロナウィルスが駆逐にかかっているのではないか。
日本においても緊急事態宣言によるこれまでなかった大規模な活動自粛によって怒れる王蟲=コロナウィルスは感染者数の減少という形でいったん鎮まったのではないか。ナウシカの「ランランランララ…」が聴こえてきたのではないか、と。
注目すべきはほんの一ヶ月間の人間の活動自粛によって世界の汚染された環境が改善傾向を見せたということだ。
観光客によって汚染されていたベネチアの運河は元の澄んだ水にかわり、工場の排気によって黄色いもやがかかっていた中国の空は晴れ、もはや聖なる扱いを受けてないほどに汚れていたガンジス河の汚染も随分改善されたという。
しかし最近になって日本では懸念されていた第二波が起こってきている。活動自粛で感染拡大が少しおさまった途端にまた人間はこれまで通りに活動を再開し、怒れる王蟲の暴走を招いてしまっているのではないか。
コロナウィルスは人の移動とともに移動をし、人と人との接触によって繁殖していく。人間はこれまで必要以上に移動をし、必要以上に集まりすぎたのだと思う。インターネットが普及した現在、移動も集合もほとんどしなくていい生活が送れる。その事に気付いたのが先般の活動自粛だったはず。
第二波での感染者数は日毎に過去の記録を更新している。暴走した王蟲はもう目前まで迫っている。正直GO TOキャンペーンだとか言っている場合ではない。もうナウシカの「ランランランララ…」は効かないのだ。
では、コロナの暴走を抑える新しい生活様式とはどんなものだろう?
それは明らかで、無意味な移動・集合を避ける事である。人間以外の動物はレジャーのための移動(旅行)はしないし、楽しむための集合もしない。渡り鳥は餌を探すために移動をし、アジは外敵から身を守るために群れをなす。
そして人間は、今やインターネットという移動や集合をバーチャルで行う技術を身につけた。ならばITでそれらを補い、地球上から人間の行動範囲を狭める時なのではないだろうか?つまりは人間も少しばかり他の動物に近づけばいいのだと思う。実はそれが新しい生活様式な気がしてならない。「with コロナ」ではなく「with 自然」なのだと。