【詩】頑張りすぎはいかんのよ
君は世界一を目指しているか?
それとも日本一を目指しているのか?
例えばスポーツで
例えば楽器の演奏で
例えば絵の才能で
例えば数学の知識で
もし君が世界一を目指しているのなら
君が日本一を目指しているのなら
それは頑張らなければいけない
辛くても、嫌になっても、涙が出ても、ケガをするようなことがあっても
君は頑張らなければいけない
でももし世界一を目指していないのなら、日本一を目指していないのなら
何事もそこそこでいい
嫌なことがあったら逃げればいい
自分をすり減らしてまで頑張らなくていい
ちょっとした頑張りで得られる幸せはたくさんあるのだから
だから頑張りすぎはいかんのよ
【子供に学ぶ】若さの秘訣
僕の母親は80歳を過ぎているのだが、日常の会話の中で昔話がかなりの割合を占めている。
子供の頃の話、働き出した頃の話、結婚したての頃の話、かつて生きていた父親と行った旅行先の話などなど。
しかもびっくりするほど鮮明に覚えている。
逆に僕の子供はまだ小学生高学年なのだが、あまり昔話はしない。それよりかは未来の話をすることの方が断然多い。今度アレをしたい。アレが欲しい。あそこに行きたい。大きくなったらアレになりたいなど。
当然なのかも知れないが、過去の話をすることはほとんどない。
しかもつい最近のことなのに幼稚園時代のこととかはほとんど覚えていない。
そこでふと思いついたのだが、人間は長く若々しくいようと思ったら、未来のことに思いを馳せればいいのではないか。これからしたいことや行きたい場所など、それが実現できるかどうかはさておき、口に出すことが若さの秘訣ではないかと。
例えば75歳のおじいちゃんが「近々カナダでスノボしてみたい」とか、「来年バイクの中免取りたいねんけど、どう思う?」とか言ってたら、その人に対してはきっと年齢より若い印象をもつのは間違いない。
しかし例えば25歳ぐらいの青年が「俺が高校の時は…」とか、「2年前に行った旅行の時に…」とか、過去の話ばかりしてると何か少し後ろ向きな印象を受けるかも知れない。
人生100年時代、僕もそろそろ折り返し地点にいるのだが、もう過去の自慢話なんぞをしている場合ではない。未来の自分を追いかけていこうと思った。
【ぽえむ♡】おくら
お母さま、お母さま、私おくらは好きではありません。なぜって、なんだかネバネバしてるんですもの。
おや、まあ、この子ったら。あのネバネバが体にいいんじゃないか。
おくらのネバネバが指に、お口にまとわりついてなんだか気持ちが悪いんですもの。
おや、まあ、この子ったら。指にお口にまとわりついてとはナンてこと言うんだい。
お母さま、お母さま、なぜお顔を赤らめていらっしゃるの?
【ぽえむ♡】蕾
お花の蕾が大きくなったら、あなたはダァレと尋ねませう
あなたが弄ってくれるなら、滴る蜜をあげませう
あなたが弄ってくれぬなら、今宵は一人で弄りませう アァえんやコラ
【続・コロナ考】政府とマスコミの国民誘導について
2022年2月現在の話である。
現在、目下、新型コロナウイルスのオミクロン株が猛威を奮っており、筆者が住む大阪では1日1万人以上の感染者が出ている始末。この状況に対して政府はまん延防止重点措置を、大阪府は医療緊急事態宣言を発出した。
思い起こせば感染第一波の緊急事態宣言は全国の感染者は数百人程度だった。しかしその事態が未知なることだったせいもあって「不要不急の外出禁止」の大号令のもと、あらゆる業種や学校が停止状態になり、メディアは「ステイホーム」を声高に叫び、星野源は「うちで踊ろう」を歌っていた。
しかし今はどうだろう、もうほとんど「ステイホーム」なんて言葉は聞かないし、飲食業の時短営業以外はほとんどの業種が通常運転している。これは国民が新型コロナウイルスに慣れたせいなのか?もちろんそれもあるだろうが、どちらかというとこの感染状況に政府は諦め、マスコミは飽きてしまったからではないだろうか。
ここ2年間のコロナ禍において筆者が改めて感じたのは国民の考えや行動が政府とマスコミ・メディアに大きくコントロールされている、という点だ。
今のまさに感染爆発しているなかで国民があまり動じないのは、政府の「オミクロン株は重症化しにくい」という声明であったり、感染状況よりも北京オリンピックを大々的に報道するメディアの影響ではないだろうか。
ここからはあくまで筆者の個人的な考えだが、メディアは新型コロナウイルスに感染した際、軽度から重度の症状や後遺症が具体的にどういうものなのかを正しく伝えること。そして政府は国民に自粛をお願いするのではなく、感染に関しては自己責任で、自分の身は自分で守るようにというある意味少し突き放したメッセージを投げることで感染を軽んじる傾向はもう少し減るような気がしている。
兎にも角にもまさにオーバーシュートといえるこの第六波。政府とマスコミの責任は重大と言えよう。
【下手なりに】字を丁寧に書くということ
僕は字が上手い方ではない。気を抜いて書くといびつな丸文字になるし、行も真っ直ぐしてなくて、何というか、不安定な文字になる。
しかしもう40代後半だから、いつまでも子供じみた字では格好がつかないと思っている。
なので、人に見せる文章なんかは汚いなりに丁寧に書くことを意識している。
僕は字は人の中身を映し出している気がしていて、どんな美人でも男前でも、字が汚いとすごく残念になる。
逆に外見がどうであれ、字がきれいだとその人の印象も幾分か上がって見えるものだ。
字を丁寧に書くことは自分を魅力的に見せる一つの方法なんだと思う。
「目は口ほどに物を言う」とは言われるが、「字は生き方を物語る」と言っても過言ではないと思っている。
仕事のこと、恋愛のこと、人間関係のことでなんかで悩んでいる人は「字をなるべく丁寧に書く」ことを意識してみるといいかもしれない。
【LINEの】絵文字
僕はLINEを送る時に極力絵文字は使わないようにしている。
理由は
①少しめんどくさい
②使い方がワンパターンになる
③時間がかかる
などだが、なんといっても最たる理由は、「若造りしてるみたいで小っ恥ずかしい」からである。
アラフィフの僕にとってはLINEは何故だか若者が使うもののような気がしてならない。殊更、中年の自分が絵文字だなんて、キャー恥ずかP!!なのだ。
逆に絵文字を使う時は、文章が愛想なさすぎて、機嫌が悪いと思われそうな時だけである。
なので、僕からの愛想悪い文章のLINEを受けった方、特に機嫌が悪いわけでは無いので気にしないでいただきたい🙏